YOKOHAMA BIGBANDは2008年、ゲームなどの作曲を手がけるマイケル野村が、SNSでメンバーを募って誕生しました。最初に集まったメンバーはわずか7名。ビッグバンドの一般的な定員とされる17名の半分にも満たない人数でした。それでも最初に決めた第1回の練習日を待てずに「有志だけで第0回練習をしましょう」との声が上がり記念すべき初めての音だしが行われました。しかし、そのサウンドは映画「スイングガールズ」の最初の頃のような、聞くも無残な演奏でした。
緑区在住のマイケル野村にとって、緑区が練習、活動の拠点になるのは当然のことでした。しかし「ジャズの街・横浜」の名前とは裏腹にビッグバンドの練習用にスペースを貸してくれる公共施設はありませんでした。「ビッグバンドってドラムがあって大きな音がするんでしょ?」「ロックみたいにエレキギターも大きな音を出すんでしょ?」などなど。吹奏楽のほうが大人数で、実質的な音量は大きいはずなのに、と思っていたマイケルにとっては、あまりの厚い壁に驚きの連続でした。
そんな中「試しに、どれくらいの音量か、やってみてから判断させてもらうというのでも良いですか?」と言ってくれる公共施設が出てきました。十日市場地区センターと長津田地区センターです。当時はこれらの公共施設は、民間の指定管理者ではなく区が直接管理していたため、館長の判断が強い決定権を持っていました。最終的には「個人的には学生の頃に自分もビッグバンドをやっていたんだ」という館長が、許可を出してくださり、我々の活動拠点が決まりました。
実はこの公共施設の利用に関して尽力してくれた人が、もう一人います。緑区選出のS市議です。八方塞の状況下、マイケル野村が様々な議員や機関にメールや手紙、電話などをした中で、唯一丁寧に返信をくれたのがS市議でした。さらにS市議は地元で毎年行われているジャズイベント「長津田ジャズ祭り」の実行委員会への参加の橋渡しもしてくれました。「長津田ジャズ祭り」に参加することによって、地元出身のボーカリスト「おぬきのりこ」さんや、Saxの大御所「中村誠一」さんなどとも親交を深めることができ、地元のバンドとして少しずつYBBの名前が浸透していきました。
一時期「長津田ジャズ祭り」はYBBの定期演奏会的な位置づけでしたが、我々は自分たちの手で自分たちの音楽を届ける場が必要となってきました。バンドが成長するためには必要な過程です。 このイベントは、我々YBBの歴史を刻むべく、そしてビッグバンドの楽しさを皆さんと最高に分かち合っていくイベントです。 さあ、一緒に楽しみましょう!
主催:YOKOHAMA BIGBAND 後援:横浜市緑区 連絡先: ybb.info2020@gmail.com